廃屋の内覧を終えた後、土地を一回りさせてもらうことにした。村山さんがまた先導しようとしてくれたが、仮に250万円でこの土地を購入した場合、彼のインセンティブはスーツ代にも満たないだろう。濡れそぼったスラックスを見て申し訳ない気持ちが今更ながら湧いてきたため、一人で見て回ると伝える。妻と村山さんは先に車の方へ来た道を戻って行った。
行き掛けに村山さんがやっていた様子を思い出して、傘の腹を使い背丈ほどある雑草を押し倒してゆく。その雑草はセイタカアワダチソウだろうと思われる。背丈と合わないひょろっとした立ち姿は簡単に倒せる。黄色い穂を揺らしながら雫を飛ばす。
思ったより支障にならない雑草に反して、蜘蛛の巣に難儀した。雨は止んでいたが乳白色の空模様に馴染んで蜘蛛の巣がよく見えない。傘で払っているつもりが歩くと髪や顔にまとわりつく。おまけに大きな蜂の羽音のような不快音が不規則に聞こえる気がする。音の主を探すが姿は見えないので無視することにした。
分かってはいたが、履いているジーンズは雨露を吸って重くなり、歩くたびに不快感を覚える。スリッポンは雑草の屑のようなものに塗れている。引き返そうと迷うが後ろを振り返っても元いた場所は見えない。諦めて右手に見えるビニールハウスに進んだ。
小さなビニールハウスが二棟建っていたので手前の方から見ていく。骨組みはしっかり残っているものの覆っていたであろう青いビニールシートは朽ちており骨組みから垂れ下がっている。中に入ると雑草が殆ど生えていないスペースになっていた。見上げると覆い被さる杉の葉が顔を覗かせている。鼻で深呼吸するとまるで森の中にいるようだ。雑草も生えないほど踏み固められたここは恐らく車庫だったのだろう。
息を落ち着かせてから奥に進んでみると、アイビーの蔦が絡みついたミニ耕運機があった。何年ここに置かれていたか分からないが、自然に飲み込まれそうになっているその様は、この土地が長らく管理されていないことを示している。
ミニ耕運機に一瞥をくれながらも、二棟目のビニールハウスに辿り着いた。一棟目とは異なり入り口にはLアングルで出来た壁にビニールを張った引き戸がついている。レールには杉の葉が堆積しており重くて動かない。仕方がないので側面に周りビニールの無いところから体を捩って中に入った。
体を起こしたところ頭に何かが当たった。コツンと軽い音を立ててそれは揺れている。ハリケーンランタンだ。元はオレンジ色だったのだろうがすっかり錆びついている。
気を取られたが視線をビニールハウス全体に戻すとやけにガラクタが目につく。飯盒、七輪、アルミの食器。照明のシェードまで落ちている。奥には何やら四畳半ほどのステージのようなものがあり真ん中が窪んでいる。その上には背もたれを地面につけたチェアが横たわり、積もった杉の葉を掻き分けて小さな草木が頼りなく伸びていた。
何となくステージの上に乗ってみる。一歩踏み出した瞬間、ズボッと床が抜けてしまった。足を抜きながら床を観察すると腐った畳だった。真ん中の穴には赤い煉瓦が組んである。囲炉裏だ。そこかしこにビールの空き缶が落ちていることから推理すると、ここは宴会スペースだったのだろう。ビニールハウスの反対の壁面には煙を逃すためか換気扇が取り付けられている。畳に座して囲炉裏でつまみを炙りながら酒を飲んでいる人物が脳裏に浮かんだ。
囲炉裏で焼いた肉の脂が落ちて炭からジュッと音を立てる。充満した煙がランタンの灯りを霞ませる。暫しそんな妄想をしていたが、遠くから僕を呼ぶ妻の声が現実に引き戻す。「まだー?」
不動産屋と二人になって気まずいのだろうか。あるいは思ったより待たせてしまっていたのか。返事をしたものの来た道を戻るのは癪だ。あえて廃屋の外周をぐるっと回って戻ることにした。
回り道をしたものの、背丈を超える雑草のせいで土地の様子がよく分からない。土地の端まで行けば状態が分かるだろうか。そういえばGoogle Mapで見たとき隣に池があることを思い出した。せっかくなので、池に面した土地の端まで分け入って行く。無心に進んでいくと緑の壁が途切れた。土地の南端だ。
草を掻き分けることに必死で空を見ていなかった。雨雲はいつの間にやら散って、青い空が山のシルエットを浮かび上がらせていた。何も考えず暫し池の畔に佇む。僕を呼ぶ声はもう聞こえなかった。