2022年7月。すぐ側まで迫った重たい雲が、湿った空気を肌にまとわり付かせる。
ようやく永住の場所を見つけたと、つい一ヶ月ほど前に四国へ移住してきたばかりであるが、梅雨と共に移動してきた僕達は長雨の影響で瀬戸内気候を味わうことができていない。浮かれ模様もすぐ様落ち着いてしまった。
転職をしてまで踏み切った移住なのでもう後には引けない。陰鬱な天気が続くとそういった焦りも掻き立てる。
引っ越してきたばかりのこの地域も初めて訪れたのでよく知らず、週末に気分転換を兼ねて妻と二人でドライブに出かけることにした。ドライブの目的は近所の気になる土地を見ることだ。
僕はかつてハウスメーカーで働いていた経験もあってか、異業種に鞍替えした現在も不動産掲載サイトで物件を物色することが習慣になっていた。この土地を買ったら…と想像を膨らませることで地域のいろいろな情報を得ることができる。地理地形、周辺の環境、相場感。
南に大きな山脈を背負うこの地域は大きな扇状地の川底に町が形成されており、最も海沿いであるここは平坦で低く、便が良いところは住宅が密集しておりそれ以外のところは水田が広がっていた。
街と農地の境である丁度良い土地のハザードマップは洪水津波でどこも真っ赤になっており、ドライブで訪れた土地もそういったところだった。今見てるここは面積が95坪と広く価格は800万円。災害リスクに寛容になれば条件は悪くなかったが、どうにもここに家を建てて住むイメージが湧かない。
この行為は土地に求める妥協点を探って幾つかを諦めるための儀式のようなもので、そもそも買い気ではなかったことが原因かもしれない。僕は土地を持ってからやりたいことがありすぎて、条件に見合う土地が存在するとも思えていない。存在すらしない高嶺の花を追うようなものである。
やりたいことは本当にいっぱいある。それらは転職してまで定住した理由でもある。自分が叶えたいことを思い返す。
自分で家を建てたい。でも今じゃないから土地だけローンを組んでまでは買えない。
農業をやりたいので納屋や自家野菜の畑を作れるくらいの敷地も欲しい。ましてや平屋を建てたいので最低でも100坪以上の広さは欲しい。
眺めは良い方がいいな。長野に住んでいた時に見た丘から眺めたアルプスの景色は良かった。同じとはいかなくても小高くて遠くを望むところがいい。
もし眺めが良かったら庭でバーベキューもやりたい。鶏も飼いたい。煙や動物の鳴き声を気にしながらだと大変だから隣近所に家はない方がいい。
山暮らし、小屋暮らしの本を読み漁って妄想ばかり膨らむが、どう考えても街に近い場所ではそんな土地は存在しない。でもサラリーマンとして生きている以上は街から離れられない。
大手の掲載サイトに載る土地は競争が激しく、ただでさえ条件の良い土地にはなかなか巡り会えない。ドライブがてら見た土地でも僕の妄想とはかけ離れている普通の土地だった。それが当たり前だ。皆その中で一番いいと思う土地を買っている。
20分ほどでサイトに載っていた土地を見回ってしまった。そのまま帰るのも気分が晴れないので、海沿いの道路から山を上る方面にハンドルを切った。助手席でつまらなそうにしている妻を横目でチラチラと見ながら。
標高300m程の低い山塊の谷沿いに伸びる道を進んでいくと、ふと視界が開ける。先程まで居た川底の地形が分かるほど見渡せる眺めのいいところだった。
なんとなく下唇を出しているように見える妻の気を逸らすべく「ほらほら見てごらん、眺めがいいよ。」と景色の方へ指を差したがリアクションが薄い。諦めて帰ろうとしたところ視界の端に何かが過ぎった。
売土地の看板だ!
急いでUターンし、もう一度看板の前に行き車を止める。やっぱり売土地だ。
土地は草が生い茂っており旗竿状の隣地には大きな針葉樹が林を形成している。日当たりは悪そうだが敷地は広そうだ。周辺には旗竿地の林に埋もれた廃屋の他に建物は無い。唐突に現れた可能性に考えが巡るがハウスメーカー時代の経験上、こういった土地はべらぼうに高いか、家が建てられないかのどちらかであることがほとんどだった。
少し迷ったが売土地看板をパシャリと撮り、不動産会社を控えることにした。妻は不安混じりに「買うの?」と聞いてくる。僕は「いや、気になったからどういう土地か見ておこおうと思って。」と濁した。
結局その日のうちに不動産会社のホームページに問い合わせを出したのだった。
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〇〇市△△の土地ですが、まだ申し込み可能でしょうか。
また土地の物件情報や地積測量図などありましたらいただけますと幸いです。
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翌日早速不動産屋からメールが返ってきた。
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お世話になります。イエシティの村山と申します。
お問い合わせの土地について現在複数のお問い合わせをいただいておりますがご検討いただけます。
弊社の物件情報と売主様からいただきました地積測量図を添付させていただきます。
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不動産の常套句も添えられていたが、購入希望者がいないことが分かった。
まずは物件情報を見てみる。490万円で430坪と記載がある。地目は宅地で都市計画区域外。そんなに広かったか?と思いつつも地積測量図のファイルを開く。5筆に分かれているが求積図の面積を足したところ約1420平米、確かに430坪ある。
ここで土地の形に違和感を感じGoogle Mapを開く。気付いた。隣地だと思っていた針葉樹の林も敷地に含まれている。隣地も手に入れば日を遮っていた針葉樹も切り倒すことができる。
針葉樹や廃屋は普通の人ならデメリットになると思うが、僕のようなことが好きな人にとっては好条件の物件にも見える。いつ本気で購入を希望する人が現れるとも限らない。雑草もあり敷地の内部まではよく確認できなかったので、不動産屋には物件を押さえる意味でメールを送ることにした。
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物件の情報ありがとうございます。
土地を見学した上で諸々の条件が合えばですが、購入前提で相談したいと考えています。
一度拝見させていただけますでしょうか。
宜しくお願いいたします。
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不動産屋からはすぐにアポイントの返信があった。また、物件の検討順位も1番にしておくので必要な検討期間は設けるとのこと。ひとまず2週間後の週末に見学希望の返信をした。
土地は見えない情報が多いので疑い半分だったが、もしかしたら条件が合うかも…と考え出した途端、沸々と高揚感が湧き上がるのを感じていた。
あとで見返したが、この物件は大手不動産サイトには掲載していない物件であることが分かった。「物件サイトで良い土地が見つかると思うな。」という、ハウスメーカー時代の強面上司がよく言っていた言葉の意味をようやく飲み込んだ。